08.18
ウイスキー戦争!カナダとデンマークの間で争われた最も消極的で積極的な領土紛争ってなに?
北極圏、グリーンランドとカナダのエルズミーア島の間、ネアズ海峡に含まれるケネディ海峡にその島はあります。
名前はハンス島、面積1.3km2、標高は最大で168.2mの小さな小さな無人島です。
図1.ハンス島の位置
図2.グリーンランドから見たハンス島,ウィキペディア ハンス島より
この島で、のちにウイスキー戦争と呼ばれることになる紛争が勃発しました。
さて、この戦争の話をお話しする前に、ハンス島の歴史について少し説明したいと思います。
ハンス島の歴史
ハンス島は、その沿岸部に強い海流が流れ、人が立ち入ることはまれな島でした。
14世紀以来イヌイット(カナダ北部やグリーンランドに住む先住民族)の狩猟場所として使われていたようですが、外の世界には知られてはいませんでした。
1850年代から1880年代にかけてアメリカ合衆国やイギリスの遠征隊によってグリーンランド北西部周辺の探検が幾度も行われます。
1845年にイギリスにより行われ、129名もの行方不明者を出した北極探検航海、いわゆるフランクリン遠征注の生存者の捜索、ユーラシア大陸北部を通って大西洋と太平洋を結ぶいわゆる北西航路の発見、はたまた北極点の到達を目指すものなど、その目的は様々なものでした。
この中で、ハンス島を発見・命名した遠征隊は、1853年から1855年にかけてフランクリン遠征の生存者捜索のため行われた第二次グリネル遠征(アメリカ合衆国の商人であり慈善家のヘンリー・グリネルの資金提供により行われた探検)と考えられています。
なお、ハンス島の名は、第二次グリネル遠征にガイドとして参加したグリーンランド南部の集落フィネスケネセット出身のイヌイット、スエルサック、愛称ハンス・ヘンドリックに因みます。ハンス・ヘンドリックは救助隊が飢え始め壊血病の兆候をみせはじめたとき、食料調達の狩猟活動に尽力するなどその貢献は大きかったのです。
図3.ハンス・ヘンドリック(1883年頃),ウィキペディア英語版 Hans Hendrikより
一方、1875年から1876年にかけてイギリス(カナダは当時イギリスの自治領)の遠征隊が、ハンス島に近いグリーンランド北西部に初めて到達しています。エルズミーア島がカナダの一部となったのは1880年のことでした。
また、1917年にはアメリカ合衆国がデンマークからヴァージン諸島(カリブ海地域の西インド諸島の島)を購入する引き換えに、グリーンランド北西部の領有権を放棄します。
この1917年にウイスキー戦争の当事者であるデンマークとカナダが初めてハンス島が位置するケネディ海峡を境に向かい合うこととなったのです。
ハンス島は領有権未決の地となった
さて、このように発見されたハンス島ですが、不毛の地であり鉱物資源にも乏しいため、しばらくの間、カナダ、デンマーク間の係争地として取り上げられることはありませんでした。
事態が変わったのは1971年、カナダ、デンマークの両政府が海洋境界線に関わる交渉を行った際のことです。
カナダ政府はハンス島の領有権を主張、デンマークは係争地があることを初めて公式に認識します。
1972年の両国政府による測量により両国間の海洋境界線が確定しますが、ハンス島については領有権を両国が主張、合意に至らなかったため、同島の領有権は未決のままとなったのです。
紛争の始まり
1983年、カナダとデンマークの両政府は共同で北極圏の効果的な掘削方法を調査する大規模なプロジェクトを進めていました。
プロジェクトの中で、ネアズ海峡の海洋環境保全について両国間で話し合いがもたれ、この際ハンス島の調査に関わる相互協定を結ぶことも検討されましたが、両国の共通の利益のために、将来の交渉に不利になるような行為を避けることに合意するにとどまりました。
ところが、カナダ政府も把握しないうちにカナダの石油会社ドーム石油によってハンス島の調査が行われていたのです。
この調査は、ハンス島が人工島に形状が近かったため、北極海の一部に石油プラットフォーム(石油採掘・生産用の人工島あるいは浮体)を建設するための海氷が与える影響を評価するためのものでした。
これを知ったカナダのジャーナリスト、ケン・ハーパーがドーム石油の調査はカナダ、デンマーク両国政府の合意に反するものと批判した上で、ハンス島はイヌイットのみが伝統的に利用してきた島であるためデンマークの一部であると記事に書き、この記事が両国に広まったのです。
しばらくののち、カナダ軍がハンス島に上陸、カナダ国旗を掲げるとともにカナディアン・ウイスキーのボトルを置いてデンマークを挑発しました。
デンマークはグリーン・ランド担当相をハンス島に向かわせ、デンマーク国旗を掲げるとともに「デンマークの島へようこそ」と書かれたメッセージとシュナップス(ドイツやデンマークなどで飲まれるアルコール度数の高い蒸留酒の総称)を残し、カナダ軍の挑発に応戦しました。
ウイスキー戦争が勃発したのです。
紛争の終結と平和へのメッセージ
ハンス島は不毛の地ではありましたが、地球温暖化によって北極圏の氷がとけると北西航路の要衝となる可能性もあり、資源開発や漁業権などの国益も生じることから、この領土紛争がにわかに熱を帯びるようになりました。
2018年になって、カナダ、デンマークの両国は、この国境問題を解決しようと共同タスクフォース(特別チーム)を結成しました。
そして、2022年、数十年に亘って続いた争いは、ハンス島を二つに分ける南北の断層に沿って、両国が分割する形で終わりを迎えました。
この戦争は、両国間で緊張が高まることはなかったため、「最も礼儀正しい領土紛争」(CBC、カナダの公共放送)とも呼ばれます。
紛争の終結に当たり、カナダのメラニー・ジョリー外相は、戦争という形をとる暴力的な領土紛争に言及し、「国境線を書き直すのに銃は必要ない」と述べ、デンマークのイェッペ・コフォズ外相も、「平和的な合意は国際社会にとって重要な一歩だ」、「今回の合意をきっかけに、他の人々が同じ道を歩めば良いのですが」と述べました。
注:フランクリン遠征 1845年に探検家ジョン・フランクリン海軍大佐の指揮により行われた北極海探検航海。カナダの北極諸島を通ってヨーロッパとアジアを結ぶ北西航路の中で新たな航路発見を目的としたもので、北極諸島のキングウィリアム島に近いビクトリア海峡で氷に閉ざされ、フランクリンを含む隊員129名が行方不明となった。
<参照>
・小さな無人島「ハンス」で50年続いた、奇妙な領土紛争が終結 「ウイスキー戦争」と呼ばれた、カナダとデンマークの争奪戦,NATIONAL GEOGRAPHIC,2022.6.18
・「最も礼儀正しい領土紛争」が終結…ウイスキー戦争の舞台の島、分割領有で合意,読売新聞オンライン,2022.6.16
・・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』