03.22
カザフステップが騎馬民族を育てた!?テュルク系民族の大地、カザフスタン
カザフスタンは、中央アジアに位置する人口18,514千人(2019年7月1日推計)の国です。
その面積は世界第9位の2,724,902km2(日本のおよそ7倍)、海に面しない内陸国に限れば世界最大です。
カザフスタン
カザフスタンの北部には、カザフステップと呼ばれる草原が広がっています。
カザフスタンの住民の多くはカザフ人などのテュルク系と呼ばれる民族です。
テュルク系民族は、遊牧・騎馬民族として知られた民族です。
カザフスタンの地では、青銅器時代末期(紀元前1200年代以前)ころには、すでに乗馬の習慣があったようです。
テュルク系民族は、カザフステップの大草原を馬で疾駆していたのでしょう。
そして、その語感から想像されるように、テュルク系民族の中にはトルコ系民族が含まれます。
中央アジアの国々の国民のほとんどは、テュルク系の人々です。
テュルク系民族の分布、濃い青色はテュルク系言語を公用語としている国、薄い青色はテュルク系言語を公用語としている地域(ウィキペディア、テュルク系民族より)
カザフスタンにおいても、ソビエト時代にはロシア人の人口がカザフ人の人口を上回ったと言いますが、独立後はカザフ人の人口が7割を占めるようになりました。
それでは、カザフスタンの歴史を、テュルク系民族の歴史とともにみていきましょう。
カザフスタンの歴史(イスラム化以前)
4世紀、カザフスタンの地は、フン族によって支配されていました。
フン族とは、現代のテュルク系民族(トルコ系諸族とも、現代ではトルコをはじめとする西アジアや、中央アジア、シベリアなどに広く分布する)、モンゴル系民族を含む遊牧・騎馬民族と考えられています。
フン族の帝国の中心が西に移動したのち、モンゴル高原で活動したテュルク系遊牧民である突厥(英語ではテュルク)が、6世紀になってユーラシアの東西にまたがる第一突厥可汗国(突厥帝国)を建設します。
なお、現代のトルコ共和国の建国は、第一突厥可汗国建国の552年とされています。
西暦570年の第一突厥可汗国(ウィキペディア、History of Kazakhstanyより)
第一突厥可汗国は、わずか30年で東西に分裂、現代のカザフスタンの地域を支配した西突厥は、657年に唐に一旦滅ぼされてしまいます。
その後682年になって、突厥可汗国は再建されます(第二突厥可汗国)が、744年には新たに起こったテュルク系のウイグルに攻められ、滅ぼされました。
9世紀から12世紀にかけては西突厥を構成していた民族のテュルギシュ、カルルク、オグズ、キマク、キプチャク、カンクリ、ハザール、ペチェネグなどが割拠することになります。
このようにカザフスタンの地域を支配してきた国々、民族は多数ありますが、テュルク系民族が支配していたことに、ほぼ変わりはないようです。
また、トルコ共和国の建国が、モンゴル草原に端を発する突厥可汗国の建国をそのはじめとすることから、テュルク系民族としては、徐々に西方へとその版図を拡大していったようです。
そのなかで、モンゴルとトルコの中間点にあるカザフスタンの地は、まさにテュルク系民族の西方への移動、版図の拡大を体感してきた地域と言えるのではないのでしょうか。
カザフスタンは、次回も連続掲載予定です。ご期待ください。