05.17
チリのセンサスの歴史とサンチアゴへの人口集中のはじまり
チリの人口センサス(2)
今回は、チリにおける人口センサスの歴史と特に首都サンチアゴへの人口の集中についてみてみましょう。
チリの国立統計研究所のホームページでは、1813年のセンサスレポート(出版は1953年)が公開されています。このレポートの冒頭に、スペイン統治時代の1778年に行われた人口センサスの結果が、259,646人であったことが記されています。
ただし、このセンサスは、サンチアゴ司教区に該当する北はアタカマ砂漠から南はコンセプシオン司教区に接するマウレ川(現在のマウレ州のほぼ中央をアンデス山脈から太平洋に向かって流れる川。マウレ州は、サンチアゴ首都圏から南に数えて二つ目の州)に至るまでの漠然とした範囲に対して行ったものであり、現在アルゼンチンの一部であり当時はチリに属していたクージョ州(現在のサンチアゴ首都圏(首都州)に接する、アンデス山脈を挟んで東側の地方)を含むものでした。クージョ州の推定人口6万人を差し引くとチリの人口はおよそ20万人(ただしマウレ川以北)となります。
また、首都のサンチアゴの人口は24,318人であり、その人口の比率は当時のチリの国土の人口のおよそ9%、クージョ州を除いても12%程度となります。
このように、センサスはすでに始まっていましたが、内務省の下に「統計局」が作られ、センサスの法律が制定されたのは1843年になってからです。
また、この法律ではじめて、10年ごとにセンサスが行われることになりました。
さて、チリの首都であるサンチアゴへの人口集中についてですが、1920年までの変化を下表に示しました。
1778年の結果については、スペイン統治時代のものであり、人口調査を行ったサンチアゴの範囲も不明のため、比較の対象から除外します。
1865年以降については同じ1920年のセンサスレポートからの抜粋であり、国の統計局の行ったセンサスでもあることから、比較できるものとしてその人口集中状況を見てみると、1885年以降徐々に人口が集中し、1920年になって集中が加速しているように見えます。
表 チリと首都サンチアゴの人口、及びサンチアゴの人口比率
センサス年 | チリの人口 | サンチアゴの人口 | サンチアゴの人口比率 | 備考 |
1778年 | 259,646人 | 24,318人 | 9% | チリの人口はクージョ州を含みマウレ川以南を除く |
1865年 | 1,819,223人 | 115,377人 | 6% | 1920年センサスレポートより |
1875年 | 2,075,971人 | 129,807人 | 6% | 同上 |
1885年 | 2,527,320人 | 189,332人 | 7% | 同上 |
1895年 | 2,712,145人 | 256,403人 | 9% | 同上 |
1907年 | 3,249,279人 | 332,724人 | 10% | 同上 |
1920年 | 3,753,799人 | 507,296人 | 15% | 同上 |
次のセンサスは10年後の1930年に行われました。この後、サンチアゴの人口集中は、そのまま加速していくのでしょうか。
続きは次回をお待ちください。
<参照>
・チリ国立統計研究所 https://www.ine.cl/