2020
07.12

岬なのに峰?喜望峰の地名の由来とケープタウン

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アフリカ南端の岬、喜望峰。

よく、アフリカ最南端の岬と誤解されがちですが、最南端はアガラス岬です。

喜望峰は英語では、「 Cape of Good Hope」、また公用語の一つであるアフリカーンス語(オランダ語から派生した言語。主に南アフリカ共和国のオランダ系白人が母語とする)では、「Kaap die Goeie Hoop」と呼ばれます。

なぜ、この名前がつけられたのでしょうか。

15世紀、インドへの新航路開拓事業を諸国に先駆けて進めたのは、スぺイン、ポルトガルの両国ですが、ポルトガルは、スペインに先んじて中央集権化を完成させたことにより、15世紀前半にはアフリカ西海岸の探検事業に乗りだすことになります。

エンリケ航海王子(1394年~1460年)は、研究所をつくり、航海術や天文学の研究を進めるとともに、航海者を養成し、西アフリカ海岸探検、東インド航路探検につぎつぎと彼らを派遣します。

ポルトガルの船乗りたちは、マデイラ島やヴェルデ岬をへて、1447年にはアゾレス諸島に達しました。

そして1488年、バルトロメウ=ディアス(1450年ころ~1500年)が、アフリカの南端に達し、その岬を、付近の海域が大荒れだったため嵐の岬(Cabo des Tormentas)と名付けたそうです。

この岬の発見によって、アフリカを迂回する東インドへの航路発見の可能性がさらに高まりました。

のちに、嵐の岬は、ポルトガル王ジョアン二世によって、東インドへの航路発見を祈念して、縁起の良い「Cabo da Boa Esperança」と改められました。

つまり、この「Cabo da Boa Esperança」には、ポルトガルにとって悲願であった東インド航路発見の強い願いがこもっているのです。

ポルトガル語「Boa Esperança」は、Good Hope、日本語に直訳すると「良い望み」であり、日本語の地名「喜望峰」の「喜望」は熟語としては存在しません。

定かではありませんが、江戸時代、当時初めてこの地名を翻訳する機会を与えられた翻訳者が、その時代背景、東インド航路発見への期待を感じ取り、「希望」や「良望」などではなく、「喜望」という名前を与えたのかもしれません。

ところで、喜望峰は山ではなく岬です。岬なのになぜ峰とつけられているのでしょうか。

江戸時代の学者・政治家であった新井白石(1657年~1725年)は、キリシタン禁制下に屋久島に潜入上陸して捕らえられたイタリア人宣教師ジョバンニ=シドッチ(?~1714年)を幕命により取り調べます。

このとき、新井白石は、世界地図(最も参考にしたものはイエズス会士マテオ=リッチ(1552年~1610年)が北京で刊行した『坤與万国全図』(1602年))を指し示しながら通訳を介して尋問し、正徳3年(1713年)に将軍への報告書『采覧異言』を提出しました。

その後、享和2年(1802年)になって、土浦藩士山村昌永(才助)(1770年~1827年)が和漢洋の書籍・地図など1000点以上を参照して『采覧異言』を増補改訂した『訂正増訳 采覧異言』を完成させています。

この中で、昌永はケープタウンの背後にそびえるテーブルマウンテンが喜望峰であるとしています。

喜望峰のオランダ語は「Kaap de Goede Hoop」ですが、Kaapには「低い前山」の意味があることから、峰と訳したようです。

同じように、『訂正増訳 采覧異言』では、緑峯(ベルデ岬)、瓦児大付峯(アシール岬)の表記(誤訳)が見られます。

では、なぜ喜望峰だけ今でも峰としているのでしょうか。

明治初年に刊行された福沢諭吉の著作『頭書大全 世界国盡』(明治2年刊)でも、喜望峰の表記がありました。

福沢諭吉著作集の解説によると、この本は明治16年に教科書の認可制度が発足するまで教科書として広く使われ、その後も広く流布したとあり、その影響力は極めて大きかったようです。

つまり、喜望峰は誤訳であったが、明治の教科書にそのまま記載され、その名が広まり、慣用語として定着した、あたりが真実ではないでしょうか。

なお、福沢諭吉は喜望峰の「峰」に「みさき」と読み仮名をつけています。

さて、喜望峰の街、ケープタウンは南アフリカ共和国の立法府所在地です。市域人口は2011年のセンサス結果によると433,688人ですが、2020年推計の都市圏人口は、そのおよそ10倍の4,228千人となっています。

喜望峰とケープタウン
※ピンクは市街地、緑は森林、オレンジの線は主要道路

<参考・引用>

・朝野洋一,喜望岬はどうして喜望峰なのか http://open-university.yokappe.net/assignments/xiwangjiahadoushitexiwangfengnanokayuancichengxuexisentasuozhangchaoyeyangyi

・近藤良樹,希望とその可能性-主観的願望から確かな希望へ- https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/21581/20141016141314731196/0916247X_18_kondo.pdf

・ポルトガルの東インド航路の発見,世界の歴史まっぷ, https://sekainorekisi.com/

・国際連合 人口統計年鑑システム  https://unstats.un.org/unsd/demographic-social/products/dyb/

・Demographia, 2020.04, Demographia World Urban Areas 16th Annual Edition, http://www.demographia.com/

・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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