2024
11.17

北マケドニア共和国(その1)、国旗に施された古代マケドニアの象徴ヴェルギナの太陽が放つ光はなぜ8つなのか?

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今回のブログは、ヨーロッパのバルカン半島に位置する1991年に建国された国、北マケドニア共和国(通称北マケドニア)を紹介します。

図1.北マケドニア共和国

北マケドニアは、人口182万3009人(2024年7月1日推計)、面積2万5713km2(九州の2/3ほど)の小さな国です。

人口42万2540人を数える首都スコピエを除き、10万人を超える都市はなく、クマノヴォ(7万5051人)が第2の都市です。

表1.主要都市の人口(人口は都市部、2021年9月5日人口センサス)

都市名(マケドニア語) 都市名 人口
(人)
Берово ベロヴォ 5,850
Битола ビトラ 69,287
Дебар デバル 11,735
Делчево デルチェヴォ 9,644
Гевгелија ゲヴゲリヤ 15,156
Гостивар ゴスティバル 32,814
Кавадарци カパダルツィ 32,038
Кичево キチェヴォ 23,428
Кочани コチャニ 24,632
Крива Паланка クリヴァ・パランカ 13,481
Крушево クルシェヴォ 4,104
Куманово クマノヴォ 75,051
Неготино ネゴティノ 12,488
Охрид オフリド 38,818
Прилеп プリレプ 63,308
Радовиш ラドヴィシュ 14,460
Скопје スコピエ 422,540
Штип シュティプ 42,000
Струга ストルガ 15,009
Струмица ストルミツァ 33,825
Свети Николе スヴェティ・ニコレ 11,728
Тетово テトヴォ 63,176
Велес ヴェレス 40,664

そして、旧ユーゴスラビアで唯一ユーゴスラビア戦争に参加せず、周辺諸国との課題を対話外交で解決し、平和を愛する国民性を持つ国としても知られます。

さて、北マケドニア共和国を知るために、まずはじめに紀元前の昔、ギリシアから北マケドニアにかけて広がっていた古代マケドニア王国について解説しておきたいと思います。

古代マケドニア王国とその象徴「ヴェルギナの太陽」

マケドニア王国は紀元前7世紀に古代ギリシア人によって建てられた国家です。

紀元前336年~紀元前323年に在位したアレクサンドロス3世、通称アレクサンドロス大王でよく知られます。

Alexander the Great

図1.アレクサンドロス大王の彫像(イスタンブール考古学博物館),ウィキペディア アレクサンドロス3世より

アレクサンドロス大王は30歳までにマケドニア王国の版図を広げ、ギリシアからインド北西部にまたがる大帝国を建設しました。

A map of Alexander the Great's empire at its largest extent c.323 BCE

図2.古代マケドニア王国の最大版図(ボツフォード博士著「古代世界の歴史」),ウィキペディア マケドニア王国より

アレクサンドロス大王の急逝後、王国は3つの帝国に分裂、マケドニア地方にはアンティゴノス朝が残りますが、勢力を拡大する共和制ローマの前に敗北を重ね紀元前148年にローマの属州の一つとなってしまいます。

このような歴史をたどったものの、世界王国を築いたマケドニアの名は後世に残ったのです。

ところで、古代マケドニア王国の象徴は太陽であり、ヴェルギナの太陽と呼ばれます。1970年代後半、マケドニアの旧都であるヴェルギナ(現在は人口2000人ほどの小さな街です)で発掘された金色のラルナクス(骨壺)に16の方向に光を放つ太陽が描かれていたのです。

図3.ヴェルギナの太陽が施された黄金のラルナクス,ウィキペディア ヴェルギナの太陽より

このシンボルは、1980年代からマケドニアのギリシャ人の間でシンボルとして広く使われるようになりました。

それでは、北マケドニアについて解説します。まずは国旗からみていきましょう。

北マケドニア共和国の国旗

北マケドニア共和国の国旗は、赤地に8本の光を発する黄色の太陽が描かれています。この国旗は1995年に国名を、それ以前のマケドニア共和国から暫定呼称のマケドニア・旧ユーゴスラビア共和国と定めた際に制定されました。

             図4.北マケドニア共和国の国旗

そうです。古代マケドニアの象徴とされるヴェルギナの太陽です。

あれ、太陽から発せられる光が8本しかない、と思いましたか?

そう、ヴェルギナの太陽は16本の光を放っていますが、北マケドニア共和国の国旗の光は8本しかありません。

実は1992年から1995年にかけて、北マケドニア共和国(当時はマケドニア共和国)の国旗は太陽から16本の光が放たれた本来のヴェルギナの太陽でした。

      図5.1992年~1995年に利用されていたマケドニアの国旗

1990年代前半、この国旗や国名を巡ってギリシャと当時のマケドニア共和国との間で論争が起こります。

ギリシャは、ヴェルギナの太陽を古代マケドニアと現代ギリシャの連続性の象徴として扱っており、マケドニア共和国の国名や国旗の中のヴェルギナの太陽、そしてマケドニア共和国憲法の中で謳われた「周辺国に住むマケドニア人の権利にも関心を持つ」と言う条項は、まかり成らぬものだったようです。

1994年2月にギリシャ政府は、マケドニア共和国に経済封鎖を開始、当時マケドニアの周辺諸国はギリシャを除き内戦状態にあったため、機能している輸送路がギリシャとの国境のみだったマケドニア国内への影響は計り知れぬものがありました。

そこで結局、マケドニアは国旗のヴェルギナの太陽を現在のものに改定、国際的呼称もマケドニア共和国からマケドニア・旧ユーゴスラビア共和国に改称、憲法も改めてやっとギリシャが経済封鎖を解除することとなったのです。

さて、経済封鎖は解除されたものの、その後もギリシャとマケドニア・旧ユーゴスラビア共和国の間に論争は続きます。

その後の顛末については、引き続きその2で解説したいと思います。

<参照>

・北マケドニア共和国基礎データ,外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/macedonia/data.html

・国際連合 2024年、世界将来推計人口 https://population.un.org/wpp/Download/Standard/Population/

・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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