2020
08.31

島原の乱の舞台となった上天草市、キリシタンの間でカリスマ的な人気の天草四郎は大矢野島で生まれ、湯島で総大将に!

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熊本県上天草市は、天草上島の東半分および大矢野島をはじめとして、維和島、樋島など多数の島々からなる自治体です。

2004年(平成16年)3月31日に、天草郡大矢野町、松島町、姫戸町、龍ヶ岳町の合併によって誕生しました。

さらに大矢野町は1954年(昭和29年)4月1日に登立町(のぼりたてまち)、維和村(いわむら)、湯島村、上村、中村の合併によって発足、松島町は1955年(昭和30年)4月1日に阿村、今津村、教良木河内村(きょうらぎかわちむら)の3村の合併によって発足、龍ヶ岳町は1954年(昭和29年)7月1日高戸村、樋島村、大道村の3村の合併によって発足(当時龍ヶ岳村)しています。

このように、多くの町や村の合併によって成り立った自治体ですが、公募により決定した市の名前は、この地方一帯の郡名、天草郡に由来するものとなりました。

なお、天草郡は天草上島、天草下島およびその周辺の島嶼からなっていた郡ですが、現在は天草上島北西部の苓北町を残すのみとなっています。

さて、市名にも使われているこの「天草」ですが、一説によると海士草に由来すると言われ、海士集団にちなむものとされています。

また、天草と言えば島原の乱の天草四郎が有名ですよね。

上天草市は島原の乱の舞台となった地でも知られ、その中心人物である天草四郎時貞は、上天草市の大矢野島で生まれたと言われています。

当時、過酷な年貢取り立てに耐えかねた島原の領民が、武士身分から百姓身分に転じていた旧有馬氏の家臣の下に組織化され、これに呼応する形で天草でも小西氏、加藤氏の改易により大量に発生した浪人を中心に一揆が組織化されました。

島原の乱の首謀者たちは湯島(現在の上天草市大字大矢野町)で会談を行い、キリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていた当時16歳の少年天草四郎を総大将として決起することとなったのです。

人口

上天草市の人口は、2015年(平成27年)の国勢調査結果によると27,006人、面積は126.91km2、人口密度212.8人/km2でした。

2015年国勢調査における、合併前の旧町域に該当する人口、面積、人口密度は以下の通りです。

やはり、上天草市役所の位置する旧大矢野町が、人口、人口密度ともに最も多くなっています。

上天草市の2015年国勢調査における合併前自治体別人口、面積、および人口密度

旧町名 人口 面積 人口密度
大矢野町 13,708人 37.95km2 361.2人/km2
松島町 7,114人 51.20km2 138.9人/km2
姫戸町 2,458人 19.34km2 127.1人/km2
龍ヶ岳町 3,726人 17.49km2 213.0人/km2
1920年当時の自治体(黒字カッコつき)と上天草市発足前の自治体(赤字)
上天草市大字松島町樋合海水浴場から撮影(アイキャッチ画像共)

上天草市の方から、写真を提供いただきました。

写っている島は、樋合島の樋合海水浴場正面の高杢島でしょうか。

ご存じの方は問合せの方にご連絡ください。

<参考>

・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

・政府の総合統計窓口 https://www.e-stat.go.jp/

・熊本県の地名,日本歴史地名体系44,平凡社

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