03.29
ラテンアメリカは中南米のことじゃないって本当!?
日本語の中南米の定義はなんでしょうか。
外務省のホームページに掲載されている中南米の国と地域は、メキシコ以南のアメリカ大陸、そしてカリブ海地域の諸国、諸地域です。
私たちのイメージ通りではないでしょうか。
では、ラテンアメリカの定義は何でしょう。中南米とイコールだと思っていませんでしたか。どうも、正確には違うようです。
ラテンアメリカの語源とその定義をみていきましょう。
<ラテンアメリカの語源>
時は1836年にさかのぼります。メキシコからテキサスが独立し、1848年には米墨戦争(アメリカ・メキシコ戦争)によってメキシコがアメリカ合衆国に敗れ、国土の半分を失います。
1856年には中米ニカラグアの国内政治の混乱に乗じアメリカ人のウィリアム・ウォーカーが同国の大統領になるなど、アメリカ合衆国の膨張の前に、アメリカ大陸のスペイン語圏諸国は存続の危機にさらされていました。
こうした状況の中で、パリに在住していたイスパノアメリカ(スペイン語話者が居住するアメリカ大陸の国家)人たちが、祖国がアメリカ合衆国に吸収されるという危惧を抱き始め、アングロサクソン列強の脅威に抵抗すべく運動を始めました。
当時、彼らは自分たちの国家群の呼称としてアメリカ・エスパニョーラを用いることが多かったのですが、文明の中心であったフランスと一体であることを示す名称としてラサ・ラティノアメリカーナなどの呼称が論説で用いられるようになりました。
ここで、「ラテン」とは、ラテン民族を示す言葉であり、ラテン民族には、ヨーロッパにおいてはイタリア人、フランス人、スペイン人、ポルトガル人などが含まれます。
1856年には、当時のヌエバ・グラナダ共和国(現在のコロンビア、パナマおよび周辺諸国の一部からなる国)の首都ボゴタに生まれた文人ホセ・マリア・トーレス=カイセードによってアメリカ・ラティーナという言葉が初めて用いられます。
この言葉は、次第に新聞や雑誌、公文書などに浸透していき、フランス語でも1861年ごろからラメリク・ラティーヌ(L’Amérique latine、ラテンアメリカ)の呼称が確認できるようになります。
この新しい名称、ラメリク・ラティーヌはナポレオン3世によって積極的に使用され、次第にいわゆるラテンアメリカという名称が世界に広がっていきました。
なお、スペインでは今でもイスパノアメリカの名称を主張し続け、スペインの公式文書ではラテンアメリカの名称を拒否しているそうです。
<ラテンアメリカの定義>
1960年ころまでは、ラテン文化の伝統を引き継ぐ20の国(ブラジル、ハイチ及びスペイン語圏の18の国)に限ってラテンアメリカと呼称されてきました。
1962年以降、旧イギリス領や旧オランダ領からの独立が相次ぎ、国際連合などでラテンアメリカ地域に含んだ形で言及されるようになり、ラテンアメリカの定義は曖昧さをはらむことになります。
近年、こうした新興独立国の立場を考慮し、「カリブ海地域」と呼称し、日本における「中南米」地域は、「ラテンアメリカとカリブ海地域」などと表現する傾向が強まっています。
実際に、国際連合人口年鑑の表記を見ていくと、1997年の人口年鑑では、カリブ海地域、中央アメリカ、南アメリカを併せて「ラテンアメリカ」と称していましたが、1998年からは「ラテンアメリカとカリブ海地域」と、表記が変わっています。
さて、現在、狭義のラテンアメリカは、メキシコ以南のアメリカ大陸の諸国のうち、ベリーズ、ガイアナ、スリナムを除く18の国と地域、およびカリブ海地域の7つの国と地域が該当すると言えます。
もちろん、広義のラテンアメリカは、中南米諸国といって構いませんが。
ここに、狭義のラテンアメリカ諸国を列挙しておきます。
メキシコ合衆国、グアテマラ共和国、ホンジュラス共和国、エルサルバドル共和国、ニカラグア共和国、コスタリカ共和国、パナマ共和国、コロンビア共和国、ベネズエラ・ボリバル共和国、エクアドル共和国、ペルー共和国、ボリビア多民族国、チリ共和国、パラグアイ共和国、ウルグアイ東方共和国、アルゼンチン共和国、ブラジル連邦共和国、フランス領ギアナ、キューバ共和国、ハイチ共和国、ドミニカ共和国、グアドループ、マルティニーク、サン・マルタン、サン・バルテルミー
<出典>
・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・国際連合 人口統計年鑑システム https://unstats.un.org/unsd/demographic-social/products/dyb/