11.07
ジーンズ生地はジェノヴァから!海上の戦士たちは、デニムを着て戦地へ!?そしてジェノヴァが残した負の遺産とは!?
ジーンズの発祥は、アメリカと言われていますよね。
ジェノヴァもジーンズにはひとかたならぬ由縁がありそうです。
今回は、ジェノヴァシリーズの4回目、ジェノヴァとジーンズの関係、そして負の遺産として継承されていってしまった奴隷貿易について、解説したいと思います。
ジーンズの歴史とジェノヴァ
ジーズの歴史を調べると、やはり発祥の舞台はアメリカでした。
1800年代後半、ゴールドラッシュに沸いた北アメリカの鉱山で働く鉱夫のために、キャンバス生地を用いて銅のリベットでポケットを補強した作業用ズボンが発売され、これが鉱夫たちの好評を博したのがはじまりのようです。
ジーンズを着用して働く労働者たち(1933年ころ、アメリカ合衆国メリーランド州),ウィキペディア ジーンズより
その後、1900年代になって素材はインディゴ染めのデニム生地に変遷し、現在のジーンズとほぼ同様のデザインになったそうです。
さて、この生地の名前のデニム、語源はフランス語のserge de Nîmes(セルジュ・ドゥ・ニーム)、ニームの綾織り注からきています。この言葉からde Nîmes だけ残す形で短縮され、デニムという表現が生まれました。
ニームの綾織りとは何でしょうか。
フランスの街、ニームに優れた綾織りの布地をつくるアンドレという一族があり、デニム生地を作っていました。
フランス、ニーム
彼らの作るデニム生地は高品質であり、ジェノヴァから各国に輸出されたそうです。
そしてジーンズの語源は、生地を輸出したジェノヴァから来ているとも言われています。
中世フランスでジェノヴァは「Gênes」(ジェヌ)と呼ばれました。この「Gênes」がジーンズの語源となったと言う説があるのです。
当時のジーンズも染色に必要なインディゴをインドのプランテーションから輸入していたと言います。
庶民が着ていたジーンズは、The Master of the Blue Jeansと呼ばれている芸術家の一連の作品でも見ることができ、色合いや風合いは現代のものとよく似ています。
ジェノヴァ産のジーンズ(1850年~1900年頃),ウィキペディア ジーンズより
ジェノヴァの海軍でも水兵に、濡れても乾いても着用できる生地としてジーンズが支給していたそうです。ジェノバのクロスボウ兵もジーンズを着て戦地に向かったのでしょう。
ジェノヴァが残した負の遺産とは
ジェノヴァの活躍をこれまで特集してきましたが、その歴史は必ずしも輝かしいものばかりではありません。
その後の世界に大きな影響を与えた負の遺産、奴隷貿易の歴史について少しばかりのぞいてみましょう。
中世後期の12世紀~15世紀に地中海地方では奴隷制が広がっていきます。
この奴隷制はヴェネツィア商人およびジェノヴァ商人の活動抜きには語れないと言います。
ジェノヴァは、十字軍を財政面および軍事面から支援し、地中海全域にその活動域を広げていったことは、前々回のブログで語りました。
その商業活動の中でも奴隷貿易は重要なものでした。
はじめ、奴隷貿易の拠点は北アフリカやアフリカ大陸との接点であるイベリア半島南部でした。
そして、奴隷の大半はイスラム教徒だったのです。
ジェノヴァの奴隷市場は12世紀末頃には一つのピークを迎えていました。
なお、奴隷貿易を行っていたのは、ジェノヴァに限らず激しく対立していたヴェネツィアやピサなどのイタリアの数々の都市国家にしても同様でした。
その後、13世紀の末になって、奴隷の調達地域はおおきな変化を遂げます。
ジェノヴァが東ローマ帝国との関係を改善し、黒海沿岸地域における貿易の主導権を握るようになったのです。
これに伴い、奴隷の調達拠点も黒海沿岸域へと変わっていきました。
1400年頃の黒海沿岸でのジェノヴァ植民地(to Genoa と書かれたピンクの領域),ウィキペディア ジェノヴァ共和国より
カフカス人やロシア人、タタール人などの奴隷がエジプトなど地中海各地の需要者に売られて行ったのです。
大航海時代と奴隷
時は飛んで1528年、当時、私的海軍提督であったジェノヴァのアンドレア・ドーリアは、奉仕先をそれまでのフランス国王からスペイン国王でもあった神聖ローマ皇帝カール5世にのり替えます。
アンドレア・ドーリア,ウィキペディア Andrea Doriaより
これ以降、ジェノヴァはその地位を安定させることができるのですが、同時にジェノヴァ人でスペイン王室に仕え、キャリアを積んでいった数々の海洋探検家、将軍らを輩出するのです。
そしてジェノヴァが地中海で培(つちか)った負の慣習である奴隷貿易は、彼らによって新大陸の探検・開拓に引き継がれて行ってしまったのです。
注 綾織り:タテ糸が2本もしくは3本のヨコ糸の上を通過した後、1本のヨコ糸の下を通過することを繰り返して織られもの。代表的な生地にデニム、ダンガリー、フランネル、ツイードなどがある。
<参照>
・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・松木栄三,14-15世紀の黒海沿岸とロシア,一橋大学機関リポジトリHERMES-IR https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/14759/chichukai0000900550.pdf
・布留川正博,15, 6世紀ポルトガル王国における黒人奴隷制 (1)―近代奴隷制の歴史的原像―,同志社大学学術リポジトリ