04.05
北のベネチア、小ベルリンとも称されるポーランドの都市ビドゴシュチ、その繁栄の礎となったミル島とは?
今回のブログは、ポーランドの都市ビドゴシュチを紹介します。
ビドゴシュチについてはXにも投稿しましたが、本ブログではもう少し深掘りしたいと思います。
ビドゴシュチの位置と街を流れる川
ビドゴシュチは北緯53度07分、東経18度00分、標高およそ60m、ポーランド中北部のクヤヴィ=ポモージェ県に位置する同県の県都です。
バルト海沿岸の都市グダニスクと内陸の都市ワルシャワ、ポズナンを結ぶ中間地帯に位置しており、内陸だが海と強く結びついた都市という地理的な正確を持ち合わせています。
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図1. ビドゴシュチの位置
ビドゴシュチ市の東縁を南から北へ流れるヴィスワ川はポーランド最大、最重要とされる河川です。このヴィスワ川の支流であるブルダ川が市街地を西から東へと貫流し、旧市街やミル島など都市景観の中心を形成しています。

図2. ビドゴシュチと河川
ビドゴシュチはブルダ川とヴィスワ川の結節点という極めて重要な水理的位置にあります。
さて、このブルダ川の流れる途中にミル島と呼ばれる島があります。この島、実は自然にできたものではなく人工島です。
ミル島とその名の由来
ビドゴシュチを流れるブルダ川の途中にあるミル島について少しお話しします。
正式名称はWyspa Młyńska(ミル島)、ビドゴシュチ旧市街の中心部、ブルダ川本流とそこから分かれた人工分流であるミウィヌフカ(Młynówka)川に囲まれた面積およそ6.5ヘクタールほどの小さな人工島です。

図3. ミル島とブルダ川、ミウィヌフカ川
この立地から川に囲まれた旧市街の心臓部に位置づけられています。
さて、ミル島では中世以来水車を使った穀物の粉砕、いわゆる製粉業が行われてきました。
川の流れを制御しやすい分流(ミウィヌフカ川)を掘削し、水車を集中的に配置したのです。これがミル(製粉)島の名称の由来です。
王立造幣局の設置と繁栄
1594年になってこの島に、ポーランド王ジクムント3世の許可により王立造幣局(ミント)が設置されました。造幣局は17世紀にかけて稼働します。造幣局の置かれた島の東部はミント島とも呼ばれました。
造幣局では銀貨や銅貨の鋳造が行われ、ポーランド王国全体の通貨供給の一翼を担います。
ミル島は当時、まさに食料(粉)と貨幣(富)を同時に生み出す場所だったのです。
18世紀になるとビドゴシュチ運河が建設されます。この頃、周辺農村から集められた穀物はミル島で製粉された後、川船でヴィスワ川や運河経由で輸出されます。
島には赤れんが造りの穀倉や製粉所、水門が集中しました。
この時代、ミル島周辺はビドゴシュチのベネツィアと呼ばれるほどに水と景観が密接に結びついた景観を持っていました。
ミル島の衰退と再生
20世紀後半になってミル島の産業は衰退に向かいます。工業構造が変化し製粉・水運が衰退するとともに、建物の老朽化などもあり利用が低下してしまうのです。
しかし、2000年代に入って以降、大規模な再生事業が開始、歴史的建造物を保存しつつその用途を転換していきます。
さて、現在のミル島には何があるのでしょうか。
穀倉は考古学コレクションを集めた博物館(白い穀倉)や現代美術ギャラリー(赤い穀倉)へと姿を変えました。
ヨーロッパ貨幣センターには貨幣センターには造幣史が展示されています。
ポーランド近代美術を代表する画家レオン・ヴィチュウコフスキ(1852~1936年)の作品を展示する彼の名を冠した館も20世紀初めに整備されました。
そして、芝生広場や並木道、川沿い遊歩道、野外円形劇場が整備され、歩行者橋で旧市街と接続されています。

図4. ミル島の博物館・文化施設
図5. 白い穀倉(ウィキペディア Mill Island, Bydgoszczより)
図6. 赤い穀倉(ウィキペディア Mill Island, Bydgoszczより)
ミル島は、水と産業の歴史が、文化と憩いに生まれ変わった“ビドゴシュチの心臓部”と言えます。
そしてビドゴシュチという都市は、ミル島を核として生まれミル島とともに姿を変えてきた、と言っても過言ではありません。
今回のブログは、ここまでとします。 次回は18世紀に作られたビドゴシュチ運河について解説できればと思います。
<参照>
・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


