10.24
ジェノヴァ人だから商人!それ以上に熟練した船乗り、最強の戦士!地中海最大最強の海洋国家ジェノヴァ共和国の礎(いしずえ)とは!
前回、パガニーニとジェノヴァについて投稿しましたが、10月24日までの期間中、パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールがジェノヴァで開催されています。ブログを投稿している時間には優勝者が決まっているかもしれません。
日本人は上位に入賞したのでしょうか。気になりますが、まずはジェノヴァの歴史をみていきましょう。
先史時代のジェノヴァ
ジェノヴァ周辺には紀元前5千~4千年頃には人が住んでいたと言います。
この地に初めて街が形成されたのは紀元前5世紀頃のことで、現在カステッロ(Castello)と呼ばれる丘の上につくられました。当時の町の名はスタリア(Σταλìα)と呼ばれていたそうです。
スタリアは、紀元前209年にカルタゴによって破壊されますが、その後町は再建され、紀元前146年にポエニ戦争注1が終結した後、都市として認められました。
スタリアは、内陸部のトルトーナやピアチェンツァなどの町と皮や木材、蜂蜜などを交易する都市でした。ローマ時代の遺跡からは、円形闘技場も発見されています。
ジェノヴァとトルトナ、ピアチェンツァ
古代のジェノヴァ、帝国や王国による支配
古代のジェノヴァは、ヨーロッパ各地域を支配した王国や帝国の属州となっていました。
5世紀末の西ローマ帝国崩壊後、東ゴート王国や東ローマ帝国、ランゴバルド王国、フランスのカロリング朝の支配を次々と受けていったのです。
西暦476年頃の東西ローマ帝国
東ゴート王国(西暦497年~553年)の支配領域
東ローマ帝国による支配の時代(616年),ウィキペディア ランゴバルト王国より
ランゴバルド王国による支配の時代(751年),ウィキペディア ランゴバルド王国より
カロリング朝による支配の時代(800年頃),ウィキペディア カロリング朝より
9世紀から10世紀半ばにかけてはイスラムの脅威にさらされます。
934年から35年にかけて、ヤクブ・イブン・イスハーク・アル・タミミ(Ya’qub ibn Ishaq al-Tamimi)率いるファーティマ朝の艦隊に徹底的に略奪され、焼かれ、数年間は放棄されていた可能性もあるといいます。
ジェノヴァ共和国の誕生
西暦1100年より以前、この時期多くの都市国家がイタリアで生まれます。
この中の一つとして、ジェノヴァ共和国は産声を上げたのです。
当時、名目上は神聖ローマ皇帝が主権を握り、ジェノバ司教が国家元首となっていましたが、実際の権力は毎年民衆議会で選出される複数の領事(consul、コンスル)が行使していました。
ジェノヴァ共和国はヴェネツィア、ピサ、アマルフィと並んでRepubbliche Marinareと呼ばれます。Repubbliche Marinare は、日本語に直訳すると海事国家、日本の文献ではよく海洋国家と訳されています。
また、ジェノヴァ共和国は地中海で最大、最強の海軍を持つ国家でもありました。
古い言葉に「Genuensis ergo mercator(ジェノヴァ人だから商人)」という言葉があるのですが、それ以上にジェノヴァ人は熟練した船乗りであり獰猛な戦士でもあったのです。
ここまで見てきたように、地中海はイスラム世界との接点であり、覇権争いの舞台となってきました。ジェノヴァは戦争により一度は放棄されるほどの甚大な被害を被っています。このような歴史が、最大最強のジェノヴァ共和国の礎となったといっても言い過ぎではないでしょう。
次回、ジェノヴァを支えた最強の軍隊、そしてその旗の秘密、ジェノヴァ発祥とされるあの生地の話題などなど、語ってつきないジェノヴァの話題を少しずつですが、みなさんと分かち合えたらと思います。
注1 ポエニ戦争:共和制ローマとカルタゴ(現在のチュニジア)によって争われた地中海の覇権を巡る一連の戦争。第一次~第三次戦争まで紀元前264年から紀元前146年にかけての119年間にわたって争われ、第二次戦争ではカルタゴの英雄ハンニバルの猛攻により、一旦はイタリア半島まで攻め入られ、ローマ滅亡の危機に陥った。第三次戦争のカルタゴの滅亡を以て終焉を迎えた。この戦争の後、ローマは西地中海の覇権を手にし、帝制へと移行していくことになる。
注2 ファーティマ朝:イスラム教シーア派の一派、イスマイール派が建国したイスラム王朝(西暦909年~1171年)。現在のチュニジアの地に興り、のちカイロに中心を移した。
<参照>
・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・永沼博道著,中世ジェノヴァ植民活動の特質:マオーナ・ディ・キオの事例によせて,関西大学経済論集42巻5号P837-854,1993-01-27
・亀長洋子,海の向こうへ-中世ジェノヴァ人の行動様式-,学習院史学51号P100-110,2013-03-01
・ジェノヴァ/ジェノヴァ共和国,世界史の窓 https://www.y-history.net/appendix/wh0603_1-046.html