2021
04.19

ビーチリゾートとして世界の富豪を集めたアカプルコ!国際的な観光都市としての復活はいつか!?

ブログ

メキシコ合衆国南部、太平洋に面するアカプルコ(正式名称:アカプルコ・デ・フアレス、Acapulco de Juárez)は、人口658,609人(2020年3月15日実施のセンサス結果)のビーチリゾート都市です。

アカプルコには旧市街(Traditional Acapulco)、アカプルコ・ドラド、アカプルコ・ディアマンテの3つの観光エリアがあります。

アカプルコ湾西部のラス・プラヤス半島周辺に広がる旧市街の最盛期は、1930年代~1960年代であり、当時は世界のセレブ達の心を捉えましたが、現在ではメキシコ人中流階級を対象としたリゾート地となっています。

アカプルコ湾の中央部に位置するアカプルコ・ドラド注1は、1950年代から1970年代にかけて開発された地区です。アカプルコ国際空港から車で約25分の距離にあり、最も多くの観光客が訪れるエリアとなっています。

アカプルコ・ドラド

街の南部、ディアマンテ岬周辺に広がるアカプルコ・ディアマンテは、最も新しく開発された地区です。高級ホテルやリゾート、マンション、高級コンドミニアムやプライベートヴィラなど、最も豪華な施設が集中している地区の一つです。アカプルコ国際空港からは車で10分の距離にあります。

アカプルコ・ディアマンテ

このような魅力的な街、アカプルコですが、近年では危険な街として国外からの観光客は激減しているようです。

日本の外務省によると、アカプルコでは、多くの凶悪事件が発生し、国家警備隊等が治安維持にあたっているが治安改善の兆しは見られないとして、海外安全情報のレベル2(不要不急の渡航は止めてください)を継続しています。

さて、そんなアカプルコですが、まずはその歴史をみていきましょう。

アカプルコの歴史

アカプルコ湾の発見は、16世紀初めのことであり、それ以前はアカプルコの地はアステカ帝国の一部でした。

1531年にはビジャフエルテ注2によって村が建設されます。

コンキスタドール(征服者)のエルナン・コルテスは、アカプルコ港を主要港として創設、1531年までにメキシコシティとの間に最初の主要道を建設します。

アカプルコ港には、1550年までにアジアからのガレオン船(帆船の一種)が到着するようになります。

アカプルコはフィリピンとの直接貿易(マニラ・ガレオン)によりベラクルス注3に次いで重要な港となったのです。

この貿易は、19世紀初頭まで続きます。

ガレオン船の積み荷の豪華な金品は、イギリスやオランダの海賊たちの関心を惹きつけました。

港と船の積み荷を守るため、サンディエゴ要塞が建設されますが、1615年にはオランダの船団が侵攻し、立ち去る前に街や城壁の多くが破壊されてしまいます。

現在の要塞は、1776年の地震による崩壊のあと、1783年に再建されたものです。

サンディエゴ要塞

19世紀の初め、スペイン王カルロス4世によって市制(Ciudad Oficial)が宣言されます。

スペイン王にとっても、重要な街となったわけですが、その直後にメキシコ独立戦争が勃発、1810年には町が焼き払われてしまいます。

1821年メキシコは独立しますが、マニラ・ガレオンは途絶えてしまいました。

19世紀中ごろになって、カリフォルニアで起こったゴールドラッシュにより、パナマからの往来の船が寄港するようになり、港としての重要性が回復することになったのです。

アカプルコと日本の深い関係

慶長14年(1609年)、前フィリピン総督のドン・ロドリゴの一行を乗せたガレオン船サン・フランシスコ号がヌエバ・エスパーニャ副王領(現在のメキシコ)への帰途、台風にあって現在の千葉県の海岸で座礁・難破してしまいます。

地元民に救助された一行に対し、徳川家康は外交顧問のイングランド人航海士・水先案内人・貿易家ウィリアム・アダムス(三浦按針)の建造したガレオン船サン・ブエナ・ベントゥーラ号を贈り、ヌエバ・エスパーニャ副王領へ送還します。

これをきっかけに、日本とスペインの交流が始まりました。

仙台藩の伊達政宗は、ヨーロッパに遣欧使節を贈ることを決定し、第1回目の使節として家臣の支倉常長を正使として出航させます。

暴風による座礁、遭難を乗り越え、慶長18年9月15日(1613年10月28日)に現在の石巻市の月ノ浦を出帆したサン・フアン・バウティスタ号は、ローマへの寄港地アカプルコを目指します。

1614年1月、約3か月の航海の末、支倉一行はアカプルコ港に到着し、ヌエバ・エスパーニャ副王代理の出迎えを受けたのです。

アカプルコのオルノスビーチには、宮城県、河北新報社、仙台市が共同で寄贈した、支倉常長の記念碑が建てられています。

日本との関係も深いアカプルコ、再び日本から観光に気軽に行けるようになる日が待たれます。

注1:ドラド スペイン語で黄金の意、アカプルコ・ドラドは黄金のアカプルコと直訳される。

注2:ファン・ロドリゲス・デ・ビジャフエルテ アステカ帝国を征服したコンキスタドール、エルナン・コルテスに同行したブリガンティン(2本マストの一つに横帆を備えた帆船)の船長の一人。

注3:ベラクルス 大西洋に面するメキシコの港湾都市

<参照>

・メキシコのリゾート地「アカプルコ」,Zenpaku https://note.com/zenpaku/n/n80a320827b37

・メキシコ アカプルコ 支倉常長記念碑 日墨交通発祥記念之碑 仙台市 千葉県御宿町,いちご畑よ永遠に https://ameblo.jp/yuutunarutouha/entry-12468678493.html

・メキシコ,外務省海外安全情報 http://www.anzen.mofa.go.jp/m/mbhazardinfo2_264.html

・メキシコ国立統計地理情報局 https://www.inegi.org.mx/

・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

コメントは利用できません