2020
04.19

明治維新後初の全国的な戸籍調査「日本全国戸籍表」と閲覧されない壬申戸籍の真実!

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太陰暦で明治5年1月29日、西暦で1872年3月8日は、明治維新後初の全国的な人口調査である日本全国戸籍表が編纂された日であり、現在では、1月29日は人口調査記念日として知られています。

日本全国戸籍表は、明治4年(1871年)の戸籍法公布後、各地より提出された戸籍(壬申戸籍)に基づいて内務省が編纂し、明治7年(1874年)~11年(1878年)に刊行されました。

江戸時代にも人口調査は行われていましたが、調査対象が限定されており、国によっては15歳未満を含めないなど、調査方法が不統一でした。壬申戸籍は、初めて皇族から平民までを集計し、全国一律の基準で集計を行った点で画期的でした。

しかしながら、明治4年の戸籍法には不備が多く、その記載様式が特に設けられなかったことから、地方によって書式の詳細に格差が生まれてしまいます。

また、壬申戸籍では被差別部落民も平民として編入されたものの、一部の地域戸籍には新平民等と記載されるなど、差別は色濃く残りました。

1886年(明治19年)には、統一書式を用いた戸籍へと変更が行われたものの、1898年(明治31年)の戸籍法により壬申戸籍は改製原戸籍として取り扱われます。保存期間経過後には廃棄処分扱いとされますが、その後も残っていたようです。

1968年(昭和43年)、被差別部落民かどうかを探り出すために壬申戸籍が用いられようとした事件が発覚し、その後戸籍自体が閲覧禁止となり、法的な廃棄手続きを経たものは厳重に包装封印して保管することとなります。

現在でも、学術研究を目的として閲覧を許可するように求める声もありますが、人権侵害の問題を生じる恐れがあるとして、近い将来にわたってこれを開示して利用に供することは想定されていません。

ところが、2019年2月には壬申戸籍とみられる文書がネットオークションに出品され、落札されていたことが判明しました。その後オークションの主催者は、内容不適切を理由に売買不成立として出品自体を削除し、地方法務局がこの戸籍を回収しています。

さて、いろいろ問題のある壬申戸籍ですが、この戸籍により当時の日本の人口は、33,110,825人と集計されています。この後も、壬申戸籍に対する増減をもとに、人口統計が算出されるのですが、当初の壬申戸籍自体にも誤差があったため、誤差は次第に大きくなり、後の統計では集計値のほかに推計値を載せるようになります。

そして1920年(大正9年)10月1日、第1回国勢調査の実施を待って、日本において初めて正確な人口が集計されたのです。

日本の国勢調査の歴史については、また別の機会に投稿しますのでご期待ください。

<出典>

・フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」

・総務省統計局ホームページ https://www.stat.go.jp/library/meiji150/shiryo/shiryo5.html

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